ここが変だよ、日本の携帯

 そんな訳で憂さ晴らしにちょうど良さそうな記事があったので叩いてみようか、なんて。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0507/13/news045.html
個人的にはボダフォンが言い出すからロクな説得力が得られないんじゃないかと。ボダフォンのデザイン企画は好きですが、一向にそのデザイン携帯を発売してくれないので、いい加減嫌気がさしはじめてますし。

日本のMOUは年々低下している。メールが流行っているのでニーズが移っているのではないか。ボイスを底上げするのは限界ではないか、そういわれるが、米国のケースでは飛び抜けて1人あたりのMOUが高い。しかも右肩上がり。もう一度ボイスを考えてみる必要があるのではないか。経験から限界であるというのではなくて、もっと知恵を働かせるべき

で、個人的に気にかかったのがこれ。(『MOU』ってのは月の一人あたりの平均利用分数らしい。)「アメリカが〜だから、」って出発点からして痛々しく感じるんですが、そもそも「何で日本人が電話機能使わないのか」ってのを問題にしましょうよ、と。
 まず電話とメールの差異を考えてみると、その最たる部分は自分という人間、個性の出る強さの問題、どれだけ実際の面会に近いかの問題だと思うですよ。当然電話の方が『声』というその個人以外ありえないものを使ってる情報伝達な訳だから自が出る。
 で、ちょっと考えて欲しいのは、この国で人前に出るのが好きな奴がどれだけいるか、ってことです。長い歴史の中で培われてきた国民性として、基本的に自が出ること、目立つことが好きな日本人ってあんまりいないと思うんですよ。(論証するのめんどいし、調べてないのでこれ以上何もいえませんけど)
 あまり長く綴りたくないので早々に締めますが、上記2点から考えるに、とりとめもない会話に心労になりかねないものをわざわざ使うはずがないんですよ。あくまで極端な見方をしたら、ですけどね。当然文面では表しきれないものが声なら伝わるってこともありますよ?でもそんな重たい状況そうそうないでしょ。
 ともかくも、私が言ってる事が絶対だ、ってことではないですが、少なくとも「アメリカが〜だから」ってのは考え方としておかしいと。もし仮にアメリカが日本と全く同じ携帯電話の進化の道をたどって、日本の10年先を常に歩いてきた、てのなら歴史的に考えて人間の普遍を導く事もできるでしょうけど、どう考えたって全く違う道をたどってる訳だし。アメリカがこうだから、世界がこうだから、ってだけじゃあんまりに説得力が無さ過ぎる。鹿鳴館外交もいいところ、だと。まるで利用者を無視してるのと変わらないじゃないですか。それこそもっと知恵を働かせてください、と。ていうかボダフォンはもっと自分の足元を見てくれ…