スケッチブック 〜full color's〜

〜#13 ひとりぼっちの美術部

 泣いた(´;ω;`)ブワッ あの糞原作(あえて言う)をよくぞここまで昇華してくれました。というか、まさか泣かされるとは思いませんでした。終盤、空が麻生さんと葉月の名前を呼ぶところ、最後に自分で自己紹介できたところで思わず涙が…

空の成長

 原作ではただひたすら可哀想なだけの子だったのが、アニメではたった1クールの中でもちゃんと成長していたようです。
 もっとも空の主かんがぶれなかったものの、言うほど周りと「打ち解けていった」過程が描かれていたか、といわれればちょっと足りなかった気はします。どちらかというと視聴者のちょっとセンチな共感を得るのがメインだった感じ。
 それでも最終話で部員一人一人のことを思いながら絵を描いていくというベタベタな展開で、やっぱり「見てるところは見てたんだ」とかそんな感じで、「空→部員」の構図はできてました。逆はちょっと微妙。いつもの虫先輩(ゆかりん)とか夏美はよく分かるんだけど…葉月ですら微妙な気するし(もっとも葉月の場合呼称の問題があるから誰に対してもそんな親近感を感じがたいのだけれど)

スケッチブックという「世界観」

 舞台とかそういう意味の世界観というより、自分の目の前にあるものをどう捉えるかという意味での「世界観」。以前も書きましたが、「いつもをやめた」とかそんな中二病的なこだわりがこの作品の根底でした。少なくとも私にとっては。
 平凡な日常もちょっと考え方を変えるだけでこんなにもありがたいものになるのか、というそういう感動です。まぁ「手の届くところにある癒し」とかというのかもしれません。私は感性の乏しい人間ですので、そういう小さな感動を味わうにも、こういった手引きがないとならないのです。そういう意味ですごい需要があった。
 ARIAも同じようなとこに根ざしているのはよく分かっているつもりです。それでもあれはやはりどこか「遠い」。以前「嘘くさい」と書いた気がしますが、正確には「手が届きそうでその実絶対届かない」とかそういう感じだと思います。なにせ惑星単位でリセットした上での、もともと理想とした目指した世界を作ってしまっているせいかもしれません。
 その点スケブは、世代こそ違えど、見ている目線、立っている所は同じ高さ、同じ地平にあるのが明白。その「癒し」をとりまく敷居(環境)がぐっと下がって、かつは身近に感じられて、その分だけ「ありがたみ」が引き立ったのかもしれません。
 もっとも、実況ではもっと単純に「ARIAと違ってキャラ萌えを前面に押し出してないから」という意見も見受けられました。もっともかもしれません。かくいう私も久々に好きになった割にさして色欲を誘発されてない作品でした。まぁ角煮のスケブスレは見てますが(笑